2009年04月06日
帰国しました
6日の朝、無事、関空に到着しました
日本に帰ってきました。
まだ旅の続きがあるような錯覚に陥っていて、実感が湧かないのですが、関空のレストランで信州そばを食べたら、
「あ~、日本に戻ってきたぁ」と実感。
沖縄に戻ったら、沖縄そばを食べようと思います
明日から仕事。時差と闘いつつ、何とかやっていこうと思います。
2009年04月05日
北欧の障害学会 part2
北欧の障害学会の報告のつづきを。。。
会議は、4月2日に始まり4日まで開催されました。
オープニングプログラムでは、知的障害のグループによるパフォーマンスがありました。
写真はパフォーマンスが終わってあいさつをしているところです。
分科会ですが、テーマは、義務教育、高等教育、家族、政策の比較、社会福祉サービス、概念、調査法、障害認識、セクシャリティ、ジェンダー、アート、脱施設化、専門職、政治への参加/障害者運動、レジャー、文化と多様性、雇用、高齢化、NGO、エスニシティー、ユニバーサルデザインと多岐にわたっていました。それぞれ活発な議論が行われていました。
ところで、その分科会では、用語の定義が参加者によって異なることがしばしばありました。
例えば、障害者をdisabled people というか、people with disabilitiesというかで議論になったり、北欧諸国(Nordic countriesという言い方をしていました)の参加者がよくハビリテーション(habilitation)と言ってリハビリのリを外した用語を用いたのに対してその他の国の参加者から疑問の声が出たりしました。英国や米国の障害学会ではあまり聞かなかった(あえて触れないケースもあり)議論だったので、用語の整理、というか用語の淘汰が今後なされるのだろうと思いました。
脱施設化(deinstitutionalisation)の分科会も興味深かったです。
報告は、グループホームの3分の1が◎×㎡以下の狭い部屋に住んでいるとか、トイレが共同のグループホームがあってQOLに問題があるといった調査結果の発表等がありました。
また、脱施設化によって「施設から地域(community based services)へ」という根本的変革が実現すると考えられていたけれど果たしてそうだったかという問題提起をした研究報告にも関心を持ちました。
この研究報告では、もちろん効果はあるけれど、それぞれの国を具体的に見てみると、当事者運動の声から脱施設化が進んだ国もあれば、国の予算の関係で脱施設化が急速に進められたために準備不足だった国もあって課題は多くあるのだそうです。
準備不足だったという国では、地域支援が不十分、グループホームがミニ施設になってしまった、待機者リストも相当数、そして当事者の声が行政にしっかり届いていない等の問題提起をしていました。
英国の障害学で議論されていること&今後にも関心が集まっていました。
今学会の注目のひとつが、英国の研究者トム・シェイクスピア(Tom Shakespeare)の講演だったのですが、ジョークを交えながらバシバシ発言する彼の講演は聞き応えがありました。
英国の若手研究者たちと彼の講演の感想を分かち合ったのですが、シェイクスピアの英国障害学批判を単に批判するというより、シェイクスピアの立場に賛成の人も反対の人もどんどん議論に参加することで障害学研究も深まるだろう話していたのが印象的でした。
その他、学会の詳細はウェブサイトに掲載されています。
次回の北欧の障害学会は2年後の2011年5月27,28日で、アイスランドのレイキャビックで開催されます。
→http://www.nndr2009.dk
その前年の2010年9月には、イギリスランカスター大学でも障害学会が開催されます。
もちろん、日本でも障害学会は開催されています。毎年9月頃です。今年度は京都。
障害学の仲間に会えるのが楽しみです。
続きを読む
会議は、4月2日に始まり4日まで開催されました。
オープニングプログラムでは、知的障害のグループによるパフォーマンスがありました。
写真はパフォーマンスが終わってあいさつをしているところです。
分科会ですが、テーマは、義務教育、高等教育、家族、政策の比較、社会福祉サービス、概念、調査法、障害認識、セクシャリティ、ジェンダー、アート、脱施設化、専門職、政治への参加/障害者運動、レジャー、文化と多様性、雇用、高齢化、NGO、エスニシティー、ユニバーサルデザインと多岐にわたっていました。それぞれ活発な議論が行われていました。
ところで、その分科会では、用語の定義が参加者によって異なることがしばしばありました。
例えば、障害者をdisabled people というか、people with disabilitiesというかで議論になったり、北欧諸国(Nordic countriesという言い方をしていました)の参加者がよくハビリテーション(habilitation)と言ってリハビリのリを外した用語を用いたのに対してその他の国の参加者から疑問の声が出たりしました。英国や米国の障害学会ではあまり聞かなかった(あえて触れないケースもあり)議論だったので、用語の整理、というか用語の淘汰が今後なされるのだろうと思いました。
脱施設化(deinstitutionalisation)の分科会も興味深かったです。
報告は、グループホームの3分の1が◎×㎡以下の狭い部屋に住んでいるとか、トイレが共同のグループホームがあってQOLに問題があるといった調査結果の発表等がありました。
また、脱施設化によって「施設から地域(community based services)へ」という根本的変革が実現すると考えられていたけれど果たしてそうだったかという問題提起をした研究報告にも関心を持ちました。
この研究報告では、もちろん効果はあるけれど、それぞれの国を具体的に見てみると、当事者運動の声から脱施設化が進んだ国もあれば、国の予算の関係で脱施設化が急速に進められたために準備不足だった国もあって課題は多くあるのだそうです。
準備不足だったという国では、地域支援が不十分、グループホームがミニ施設になってしまった、待機者リストも相当数、そして当事者の声が行政にしっかり届いていない等の問題提起をしていました。
英国の障害学で議論されていること&今後にも関心が集まっていました。
今学会の注目のひとつが、英国の研究者トム・シェイクスピア(Tom Shakespeare)の講演だったのですが、ジョークを交えながらバシバシ発言する彼の講演は聞き応えがありました。
英国の若手研究者たちと彼の講演の感想を分かち合ったのですが、シェイクスピアの英国障害学批判を単に批判するというより、シェイクスピアの立場に賛成の人も反対の人もどんどん議論に参加することで障害学研究も深まるだろう話していたのが印象的でした。
その他、学会の詳細はウェブサイトに掲載されています。
次回の北欧の障害学会は2年後の2011年5月27,28日で、アイスランドのレイキャビックで開催されます。
→http://www.nndr2009.dk
その前年の2010年9月には、イギリスランカスター大学でも障害学会が開催されます。
もちろん、日本でも障害学会は開催されています。毎年9月頃です。今年度は京都。
障害学の仲間に会えるのが楽しみです。
続きを読む
2009年04月04日
北欧の障害学会
早いもので、1年間のリーズ生活が終わりました。
本来ならもう沖縄に戻っているはずなのですが、、、
どうしても出席したかった「北欧の障害学会」が帰国日の2日後にあることがわかり、職場にお許しを得て、出席しています。
出席者は200人以上。
北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド)からの出席者が大半を占めていましたが、英国を含む他のヨーロッパやアジアからの参加者もいました。
会場は、コペンハーゲンから電車で1時間30分ほどのところにあるノイブルグ (Nyborg) という街のホテルです。
デンマークの真ん中にある島にある街なので、全国から人々が集いやすく、よく会議に使われるそうです。
ホテルの部屋から見えた朝陽
ホテルの部屋から見えた夕方の海。
幻想的な色合いにうっとり
何時間でも見ていられると思えるほど美しい風景でした。
さて、学会ですが、1日目は午後から始まり、2日目は終日、そして3日目は午前中までプログラムがあります。
主な内容は分科会と講演会なのですが、分科会も講演会も4回ずつありました。
また、ヨーロッパの学会は、食事タイムやコーヒーブレイク等、とにかく参加者どおしが交流できる時間が多くあります。2日目にはコーヒータイムが午前と午後に1回ずつありました。
はい、がんばって交流しました。
講演では、障害当事者が研究調査に参画するための課題や、研究と実践の関係に関すること、また、障害学の理論研究の新しい見地を紹介する講演等がありました。
分科会では、教育、高等教育、家族、政策、社会福祉サービス、調査法、ジェンダー、障害者アート、障害者の高齢化、NGO、ユニバーサルデザイン等、多くのテーマに分かれて議論を深めました。
会議はすべて英語で行われました。
大半の参加者にとって英語は母国語ではないのですが、メモや原稿をチラチラ見ながら精力的に英語を使っていたことが印象に残っています。
本来ならもう沖縄に戻っているはずなのですが、、、
どうしても出席したかった「北欧の障害学会」が帰国日の2日後にあることがわかり、職場にお許しを得て、出席しています。
出席者は200人以上。
北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド)からの出席者が大半を占めていましたが、英国を含む他のヨーロッパやアジアからの参加者もいました。
会場は、コペンハーゲンから電車で1時間30分ほどのところにあるノイブルグ (Nyborg) という街のホテルです。
デンマークの真ん中にある島にある街なので、全国から人々が集いやすく、よく会議に使われるそうです。
ホテルの部屋から見えた朝陽
ホテルの部屋から見えた夕方の海。
幻想的な色合いにうっとり
何時間でも見ていられると思えるほど美しい風景でした。
さて、学会ですが、1日目は午後から始まり、2日目は終日、そして3日目は午前中までプログラムがあります。
主な内容は分科会と講演会なのですが、分科会も講演会も4回ずつありました。
また、ヨーロッパの学会は、食事タイムやコーヒーブレイク等、とにかく参加者どおしが交流できる時間が多くあります。2日目にはコーヒータイムが午前と午後に1回ずつありました。
はい、がんばって交流しました。
講演では、障害当事者が研究調査に参画するための課題や、研究と実践の関係に関すること、また、障害学の理論研究の新しい見地を紹介する講演等がありました。
分科会では、教育、高等教育、家族、政策、社会福祉サービス、調査法、ジェンダー、障害者アート、障害者の高齢化、NGO、ユニバーサルデザイン等、多くのテーマに分かれて議論を深めました。
会議はすべて英語で行われました。
大半の参加者にとって英語は母国語ではないのですが、メモや原稿をチラチラ見ながら精力的に英語を使っていたことが印象に残っています。
2009年04月01日
2009年03月31日
バルセロナへ part3
週末旅行
驚きの連続・バルセロナ
2日目は、この風景からスタート。
この巨大人形が歩きだすと、興味をもった人たちがズラズラ後をついて行きました。
次はダリ美術館へ。
作品がぎっしり詰まっていました。
人生を楽しむダリの生き様が作品から伝わってきました。
そしてそして、ピカソ美術館へ。
天才ピカソの若き頃の作品を中心に展示していました。
日本人グループが近くにいて、日本語のガイドを受けていたので、時々聞こえてくる解説にウンウンうなづいていました。
ショップも充実。
午後はカタルーニャ音楽堂を訪問したのですが、見学は予約制、しかも水曜日まで英語のガイドは予約でいっぱい。
帰国には間に合いそうなので、予約だけして次の目的地バルセロナ現代美術館に向かいました。
Rさんとおしゃべりしながらテクテク美術館へ。
美術館前はスケボー少年たちが元気よく練習していたり観光客がまったり休んだりしていました。
午前中とは違う雰囲気の中、ウキウキしながら美術館に入ろうとしたのですが、残念ながら、日曜日は15時で閉館。ちょっと間に会いませんでした。
ふ~。暑い中、けっこう歩いたので、美術館近くのレストランで一休み。
夕方になり、少し過ごしやすくなったところで、ガウディ作・カサミラ (ラ・ペトレラLa Perera:石切り場という名称でもある)へ。
テーマや山。
屋上の煙突は山々の峰を表しているのだとか。
建物の外観が波打っているので、室内はどうなっているのか気になったのですが、室内はおちついた中にも機能性がありました。あっ、でも廊下の手すりはゆるやかにカーブしてました。直線を探すのがたいへんでした。
2009年03月30日
バルセロナへ part2
週末旅行 in バルセロナ。
街の散策も、これだけワクワクするのはひさしぶり。
ちょっと遠回りしていろいろな通りを歩きました。
ランブラス通りにはすてきな手づくりアクセサリーの出店がズラリ
カラフルなデザインのものが多かったです。イギリスではあまり見られない色の組み合わせでした。
こちらは、カテドラル近くで見つけたCaelumというカフェ。
今、ネットで調べたら、バルセロナの人気カフェだったのですね。知らなかった。。。
修道院でつくったスウィーツがたくさんありました。
オレンジ入りのチョコレートがおいしかったです
その近くには、Iratiという老舗バル(BAR)があって、ちょっと寄ってみました。
ピンチョスといって、フランスパンの上に魚やチーズなど、色とりどりの食材がのっかったものがカウンターにずらり。
週末で大混雑でしたが、そのにぎやかな雰囲気も新鮮でした。
ピンチョスは次から次へと新しいメニューが並ぶのでついつい手が伸びてしまいました。
支払いは、つま楊枝の数で計算されます。日本の回転寿司の仕組みと同じでした。
バルは街中に数えきれないほどありました。
観光中にちょっと寄って小腹を満たすのにぴったり。
初日の最後はコロンブスの塔。シルエットになってしまいましたが。。。
高さ60m、力強さを感じました。
インドと反対の方向を指していました。
街の散策も、これだけワクワクするのはひさしぶり。
ちょっと遠回りしていろいろな通りを歩きました。
ランブラス通りにはすてきな手づくりアクセサリーの出店がズラリ
カラフルなデザインのものが多かったです。イギリスではあまり見られない色の組み合わせでした。
こちらは、カテドラル近くで見つけたCaelumというカフェ。
今、ネットで調べたら、バルセロナの人気カフェだったのですね。知らなかった。。。
修道院でつくったスウィーツがたくさんありました。
オレンジ入りのチョコレートがおいしかったです
その近くには、Iratiという老舗バル(BAR)があって、ちょっと寄ってみました。
ピンチョスといって、フランスパンの上に魚やチーズなど、色とりどりの食材がのっかったものがカウンターにずらり。
週末で大混雑でしたが、そのにぎやかな雰囲気も新鮮でした。
ピンチョスは次から次へと新しいメニューが並ぶのでついつい手が伸びてしまいました。
支払いは、つま楊枝の数で計算されます。日本の回転寿司の仕組みと同じでした。
バルは街中に数えきれないほどありました。
観光中にちょっと寄って小腹を満たすのにぴったり。
初日の最後はコロンブスの塔。シルエットになってしまいましたが。。。
高さ60m、力強さを感じました。
インドと反対の方向を指していました。
2009年03月29日
バルセロナへ part1
最後の週末旅行
帰国前の手続きなどの合間をぬって何とか念願のバルセロナへ。
リーズ→アムステルダム経由→バルセロナで計5時間30分ほどの移動でした。
いつもの朝6時発の飛行機に乗るため、3時に起床。。。
ちなみに航空チケットは諸経費込みで往復250ポンド。3万5千円弱でした。
今回は、リーズ大学で教育学を勉強しているRさんとの楽しい旅でした。
バルセロナ空港について飛び込んできた陽射しにびっくり!
さすが南ヨーロッパ。春?というより初夏の様相でした。
地下鉄で市内に移動し。駅を出て飛び込んできたのがこの建物でした。
お~、ガウディー
カサ・バトリョ邸。テーマは海。
屋根が南国の太陽に照らされてキラキラしていました。
おしゃれな街頭も
歩道も車道も広いので、開放的な気分になります。
さて、初日は午後に到着したので、ランブラス通りや大聖堂のあたりを散策しました。
いや~、すごい。。。
バルセロナの街は新しい通りを歩くたびに素晴らしい景色やおもしろいイベント、感動の出来事に遭遇することを実感。
カテドラルの近くを歩くと生演奏の音が聞こえてきたので行ってみるとこの風景!
サルダーナといって、バルセロナのあるカタルーニャ地方に古くからある民族舞踊です。
カタルーニャの人々にとって民族の団結の象徴なのだそうです。
2009年03月28日
プラハへ part4
週末を利用しての旅行
プラハ旅行で書き残していたことを。。。
プラハは古き街並みの中にステキなカフェがたくさんありました。
そのひとつ、Globe: Bookstore & Coffeehousをご紹介したいと思います。
名前のとおり、本屋さんとカフェがつながっています。
場所は、part3で紹介した教会の近くです。観光の中心となるオールドタウンからはちょっとだけ離れています。
入口を入ると本屋さんのコーナーがあります。
落ち着いた雰囲気。ソファーもあってゆっくり本を手に取ることができます。
英語の本もけっこうありました。
近くにはネットができるコーナーもあって旅行中の若者が利用していました。
こちらは、奥にあるカフェ。
ゆったりしたBGMが流れる空間の中で、地元の人たちは静かに読書をしたり、のんびりおしゃべりをしたりしていました。
カフェにはWiFiがあるので、私の隣のテーブルでは長期旅行中というアメリカの学生さんが自分のパソコンでメールチェックしていました。
ガイドブックによると、このカフェは、ビロード革命以降のプラハ文学の拠点的存在でもあるそうです(literary heart of post-revolutionary Prague)。地元の若手作家たちが定期的に読書会をしたりするそうです。
情報コーナーにはライブのお知らせチラシもあって、いろいろな顔を持つカフェでした。
ステキなカフェで、時間が経つのを忘れてしまいました。
カフェの情報はこちら↓
http://www.globebookstore.cz
2009年03月27日
帰国間近か
ひさしぶりの投稿。
帰国まで1週間をきりました。
本当にあっという間に1年が過ぎてしまった感じです。
今日は航空便と船便で送る荷物を取りに来てもらう日でした。
1年前、段ボール箱3箱で渡英したのですが、帰国時には9箱に増えてしまいました。
最後の週末旅行、バルセロナ(←バルセロナ旅行については近々!)から帰国して間もなく、急ピッチで荷造りをしました。
思いのほか時間がかかり、最終的には徹夜で荷造りをしました。ねむい。。。 無事に日本に届きますように。。。
公共料金は次の住人と協力しあって何とか解決。
でも、なんだかんだと慌しい日々。
リーズの春の景色をゆっくり楽しむことは難しそうです。
大学に最後の用事を済ませにいく途中であわてて撮った風景。。。
このベンチが見えると大学はもうすぐ。いつも目印にしていました。
帰国まで1週間をきりました。
本当にあっという間に1年が過ぎてしまった感じです。
今日は航空便と船便で送る荷物を取りに来てもらう日でした。
1年前、段ボール箱3箱で渡英したのですが、帰国時には9箱に増えてしまいました。
最後の週末旅行、バルセロナ(←バルセロナ旅行については近々!)から帰国して間もなく、急ピッチで荷造りをしました。
思いのほか時間がかかり、最終的には徹夜で荷造りをしました。ねむい。。。 無事に日本に届きますように。。。
公共料金は次の住人と協力しあって何とか解決。
でも、なんだかんだと慌しい日々。
リーズの春の景色をゆっくり楽しむことは難しそうです。
大学に最後の用事を済ませにいく途中であわてて撮った風景。。。
このベンチが見えると大学はもうすぐ。いつも目印にしていました。
2009年03月21日
プラハへ part3
チェコのナチスに対する抵抗運動・・・
この教会は、新市街 (New Town) の一角にある教会 「Church of St Cyril and St Methodius 」
聖キュリルと聖メソディウス教会と訳すのでしょうか??自信はありませんが。
この教会は、ナチスがチェコを占領していた時、チェコ市民の抵抗運動の砦になりました。
パンフレットには、「The National Memorial to the Heroes of the Heydrich Terror--A Place of Reconciliation」と書かれています。 ヘイドリッヒテロ(Heydrich Terror) のヘイドリッヒというのは、ナチス側のトップ、ヘイドリッヒのことで、抵抗運動関係者に暗殺されます。そのことから、ナチス側は卑劣な方法で抵抗運動を苦しめました。
この抵抗運動は、メンバーが自分で自害して終結するのですが、自害の前の最後の言葉は、「我々は決して服従しない。われわれはチェコ人なのだ:(We will not surrener Never, We are Czech!!)」だったそうです。
これは、表にある壁。
銃の後が今も残っていました。 ナチス側はこの中央の穴から水やガスをガンガン中に入れて抵抗運動をしている人たちを苦しめました。
当日、教会に入ると、偶然高校生の社会科見学グループがいて、抵抗運動の様子を克明に描いたビデオを一緒に見させてもらいました。言葉はわかりませんでしたが、映像から、相当激しい抵抗運動が繰り広げられたことがわかりました。
この教会は、新市街 (New Town) の一角にある教会 「Church of St Cyril and St Methodius 」
聖キュリルと聖メソディウス教会と訳すのでしょうか??自信はありませんが。
この教会は、ナチスがチェコを占領していた時、チェコ市民の抵抗運動の砦になりました。
パンフレットには、「The National Memorial to the Heroes of the Heydrich Terror--A Place of Reconciliation」と書かれています。 ヘイドリッヒテロ(Heydrich Terror) のヘイドリッヒというのは、ナチス側のトップ、ヘイドリッヒのことで、抵抗運動関係者に暗殺されます。そのことから、ナチス側は卑劣な方法で抵抗運動を苦しめました。
この抵抗運動は、メンバーが自分で自害して終結するのですが、自害の前の最後の言葉は、「我々は決して服従しない。われわれはチェコ人なのだ:(We will not surrener Never, We are Czech!!)」だったそうです。
これは、表にある壁。
銃の後が今も残っていました。 ナチス側はこの中央の穴から水やガスをガンガン中に入れて抵抗運動をしている人たちを苦しめました。
当日、教会に入ると、偶然高校生の社会科見学グループがいて、抵抗運動の様子を克明に描いたビデオを一緒に見させてもらいました。言葉はわかりませんでしたが、映像から、相当激しい抵抗運動が繰り広げられたことがわかりました。